なぜガーリックシュリンプを始めたのか。お店が出来るまで。

 

 

こんにちは。

 

 

とてもありがたい事にYUNAMI FACTORYオープン以来、雑誌やwebマガジン、テレビなどの取材に来て頂く事が多くなっています。

 

 

 

久米島町の商工会や観光協会、その他機関などからご紹介頂いて取材をお受けする事が多いです。

 

 

その取材時に『なぜガーリックシュリンプを始めたのですか?』や『何がきっかけでお店を始めたのでしょうか?』という質問をよく頂きます。

 

 

細かく話すと少し長くなるので、その場では要約して経緯をお話していますが、こちらのブログでそのお店が出来るまでの過程を詳細に書いたので、 かなり長文になりますが読んで頂けたら幸いです。

 

 

 

まず、私オーナーの摺木(スリキ)がアメリカのロサンゼルスで留学をしていた時にさかのぼります。

 

 

 

6年前の2013年でした。現地の大学に通っていたのですが、あと2年で卒業を迎えていました。

 

 

 

 

 

その時期に両親から『卒業後は久米島に帰ってきて会社を継がないか』という打診がありました。

 

 

祖父の時代から約60年ほど続く家族経営の会社です。

 

 

 

当時1950年代終わりの頃、コカコーラ社清涼飲料水の代理販売店契約の獲得を目的に祖父がアメリカ軍基地に通い、交渉をしていたみたいです。

 

 

 

何度か断られるも、諦めずに通い詰め、どうにか久米島での独占代理販売契約を獲得しました。

 

 

 

 

 

こちらが1959年頃の写真です。当時はオート三輪で配達業務をこなしていたみたいです。

 

 

歴史を感じますね。

 

 

それから並行してガソリンスタンドの運営や、板金業、タクシー会社なども運営していたみたいです。

 

 

 

それから時代と共に板金業やタクシー運営を終了し、その2013年時点ではコカコーラ販売代理店業務とガソリンスタンド運営、楽天ネットショップ、車海老の卸売業などを行なっていました。

 

 

 

その時期に『卒業後に久米島に帰ってきて会社を継がないか』という打診でした。

 

 

 

当初、あんまり久米島に帰ってくる気はなかったのですが、かと言ってアメリカに残って何かをしたいという強い願望も正直その当時は無かったのと、そもそも『こういう仕事がしたい』という将来の展望もその当時はありませんでした。

 

 

 

ただ、久米島に帰って来て欲しいという打診に対して、留学をさせてもらっている手前断る事も出来なかった部分と、どうにか親孝行だけはしておかないといけないという思いが交差していた感じでした。

 

 

 

それから悩んだ結果、大学を卒業後は久米島に帰って来る事を決心しました。

 

 

 

その当時は将来どういう仕事をしたいのかが全く分からなかったのですが、一応会社経営に携わる事をしたいと昔から漠然と考えていたので、アメリカの大学では経営学(Business Management)の専攻をしていました。

 

 

 

2014年の12月に無事大学を卒業し、7年間のアメリカ生活を終了し、2015年の1月6日に久米島に帰って来ました。

 

 

 

ゆっくり休む間も無く、次の日から早速会社に出勤して仕事を始めました。

 

 

 

せっかく久米島まで帰ってきたからには、アメリカで学んだ事を生かしながら会社の事業を通じて地域活性化だとか、世の為になるような事が出来ないかなと漠然と考えていました。

 

 

ただ、まだその時点では全く何から始めていいかも分からなかったです。

 

 

 

久米島に帰ってきて翌日の1月7日にある方と会う予定が組まれていました。沖縄本島を拠点に地域密着型のコンサルタントをされていている、末次康博(すえつぐやすひろ)さんです。

 

 

ご自身で北谷メディアという会社を経営されており、過去に広告代理店に勤められていた経験をもとに、現在は売れるチラシやPOPの書き方をご指導されたり、経営セミナーを開催されている方です。

 

 

↓北谷メディアに興味のある方はこちらから

https://chatanmedia.jp/

 

 

 

その末次さんにアドバイスを頂くためにコンサルタントとしてお越し頂きました。初対面だったので、まずその時の会社の現状を説明したり、どういう事業を行なっているのか、これからの会社の方向性など、色々な話をしました。

 

 

 

それからしばらく話した後、その時すでに4年ほど前から行なっていた生産量日本一の久米島産車海老の卸売業や楽天ショップでの小売販売の話題になりました。

 

 

 

『これからこの分野を伸ばしていこう』という話になり、どういう風に久米島のエビをもっとPRしていけばいいのか?という議論になりました。

 

 

 

そこで私がアメリカ留学時代に1度だけ食べた事があったガーリックシュリンプを思い出しました。

 

 

 

エビをガーリックやオニオンなどと炒めるハワイのノースショア発祥のローカルフードなのですが、その話をすると、偶然にも末次さんも今そのガーリックシュリンプの事を話そうとしていたとの事だったので、その場で話が盛り上がりました。

 

 

 

これを生産量日本一の久米島産車海老を使ってやったら面白いんじゃないか。地域資源の食材を使う事になるし、久米島のPRにもなるし、良いんじゃないか。という事になり、その場ですぐやる事が決定しました。

 

 

 

やると決まれば実際に現地に行って本場のガーリックシュリンプを食べに行った方がいいという事になり、ハワイに実際に行く事にしました。

 

 

 

アメリカに7年も住んでいたのですが、実はハワイにはその時まだ1度もなかったので、これはぜひ行かなければいけないなと思っていました。

 

 

 

これまた偶然なのですが、それから1ヶ月後にハワイでビジネス商談会が開催されるという事で、これはついでに現地調査も出来るし、いいタイミングだという事で早速申し込みをし、ハワイに行きました。

 

 

 

現地に着くと早速ガーリックシュリンプを食べに車で1時間くらいをかけてノースショアの方まで行きました。

 

 

現地ハワイでは、ガーリックシュリンプを販売しているお店がたくさんあり、店舗を構えていたり、フードトラックから販売していたりと様々です。

 

 

ネットで調べた所、一番美味しいと評判の『Macky’s』が出てきたので、そこにいく事にしました。

 

 

お昼時間のピークを過ぎているのにもかかわらず、ものすごい人の数でびっくりしたのを覚えています。

 

 

注文したガーリックシュリンプを食べたのですが、ガーリックが効いていてパンチのある味でした。味付けがとても美味しかったです。

 

 

これを久米島でもやろうという事になり、早速久米島に帰ってきて試作する事にしました。

 

 

現地のハワイではスーパーやお土産ショップにいくと、ガーリックシュリンプを作る為のガーリックオイルが売られているのですが、原料を見ると、ガーリック、バジル、タイム、オレガノ、レモン果汁、塩、オリーブオイル(またはキャノーラ油)などが使われていました。

 

 

この原料だと、レモン果汁を久米島産のシークワーサーにし、塩も久米島産海洋深層水の塩を使用すれば、代用できるなと思い、早速分量を配合しながら当時のスタッフにオリジナルのガーリックオイルを作ってもらいました。

 

 

 

シークワーサーの酸味とガーリックの風味が交じり合って、いい感じの味になりました。

 

 

 

それからお店をオープンする計画に移ります。店舗をどの様にしようかという話になり、アメリカの留学時代によく食べていたフードトラックを思い出しました。

 

 

 

でっかいトラックの中で調理をしていて、そこから直接販売をするあのフードトラックスタイルに憧れてそれと同じ様な感じにしたいと思っていたのですが、予算の事など色々吟味した結果、コンテナ(プレハブ)型の店舗にしようと言う結論になり、そこから約1年をかけて店舗オープンの準備をして行きました。

 

 

飲食店経営などやった事もなく、全く何も分からない状態からのスタートだったので、最初は大変でした。

 

 

保健所に提出する営業許可証の届けを用意したり、沖縄本島まで中古の厨房機器を買い揃えに行ったり、特注プレハブの発注をしたり、やることが沢山ありました。

 

 

当時の特注プレハブ製作途中の写真です↓

 

 

それからお店の看板も作りました。

 

なぜか解体工事現場でたまたま見つけたサーフボードを、解体業者にお願いして譲って頂き、それを業者さんにお願いをして綺麗にコーティングをしてもらい、店名の『YUNAMI FACTORY』をシールで貼って頂きました。

 

 

 

ちなみに店名の『YUNAMI FACTORY』(ユナミファクトリー)は過去のブログでも記述していますが、『ゆなんみ』という屋号から由来しています。

 

ご興味のある方はこちらもぜひ↓

YUNAMI FACTORYの店名の由来って何ですか?

 

 

お店の外装やペンキ塗りも全て自分達で行いました。アメリカン雑貨を貼り付けたり、板を買ってきて自分達で加工して棚を作ったりと、今思い返せばとても楽しかったです。

 

 

 

それから約1年後のお店が完成し、おかげさまで3年が経ち今のこの状態に至ります。

 

 

 

お店のホームページのトップページにも書かれてるのですが、

 


YUNAMI FACTORYでは『地産地消』をテーマに、久米島の食材を使用したメニューを積極的に取り入れています。必要最低限以外の添加物を使わず、食材そのものが持つ旨みを引き出したフードや加工品のご提供を行っております。『食』を通して生まれるコミュニケーションや、そこから広がるコミュニティ作りを目指しています。


 

という想いでお店を始めました。

 

 

まだ現時点では生産量日本一の久米島産車海老、久米島産赤鶏、久米島産牛肉、紅芋、シークワーサー、久米島みそなど積極的に久米島産の食材を使用していますが、今後もっともっと使える様になっていけたら良いなと思っています。

 

 

そうする事で久米島の農業、漁業などの地場産業が活性化できるきっかけになるんじゃないかと考えています。

 

 

また、後半の『食』を通して生まれるコミュニケーションや、そこから広がるコミュニティ作りを目指しています。と記述している部分ですが、

 

 

 

これは、『食』をただ単に『食べる』だけの行為として終わるだけではなく、そこから生まれる『あれ美味しかったよ』『あれはもっとこうした方が良いよ』『また来るね』などの会話(コミュニケーション)だったり、そこから広がっていく人脈(コミュニティ)を大事にしていきたいと思っています。

 

 

 

お店の運営を通して、今まで久米島町内の音楽イベントの企画に携わったり、その他地域行事にも積極的に参加させて頂き、微力ながら地域活性に貢献出来てきていると思っています。

 

 

 

著しい人口減少が叫ばれている現在の久米島で、どうにか次の世代の未来を見据えて、久米島を良くしていかないといけないと思っている地元の方は多いと思います。

 

 

 

自分と同じくらいの久米島の若い世代がみんなで久米島を良くしようと、私を含めてそれぞれでみんな頑張っています。そういう素敵なコミュニティが出来ていけば久米島はもっともっと良くなっていけるだろうなと思います。

 

 

 

 

 

 

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